神久保荘へようこそ 4 「事実は小説より気になる」

 

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神久保壬久(かみくぼ みく) 女・十代でデビューした漫画家・25歳
何かというとアナログ志向
神久保駒子(かみくぼ こまこ) 女・26歳。壬久の従姉
ラジオのパーソナリティ・元声優
坂下敦也(さかした あつや) 男・33歳。壬久の高校時代の担任
現在は神久保家の同居人兼アシ
パソコンに強いデジタル志向
橘 天馬(たちばな てんま) 男・24歳。放送局勤務。
かつて駒子のおっかけをしていた。
江田 亨(えだ とおる) 男・52歳。声優。
駒子の母をよく知っている。

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○ アパート・神久保荘の食堂

駒子「ふぁーあ(あくび)」

壬久「駒ちゃん、疲れてんの?」

駒子「んー、ちょっとね」

壬久「検査の予約早めにしようか」

駒子「あー、それは出来ない。スケジュールはギリギリまで決まってるし。
 それにしても壬久、あんたこそ大丈夫? 仕事つめ込んで」

壬久「大丈夫。後でゆっくり休めるし」

駒子「ま、お互い気を付けようね。ガン家系だからさ」

壬久「うん」

駒子「じゃあ、私もうちょっと寝てる。起きたら少し手伝うね」

壬久「おやすみ。……あ、ところであっちゃん見なかった?」

駒子「なんか自分の部屋でパソコン向かってたわよ。
 キーボードかちゃかちゃ打ってたけど」

壬久「ネットかな、ゲームかな」

駒子「さあね」

 

○ アパート・敦也自室

敦也「おー、絵がないのにアクセス結構あるなあ」

(SE:携帯の音)

敦也「うん? ……神久保か」

壬久『あっちゃん、何してんの』

敦也「え? ああ、ちょっとネットを」

壬久『ふうーん、そろそろ手伝ってくれないかな。原稿』

敦也「あ、いいよ。もうちょっとしたら行く」

壬久『はーい、了解』

(SE:携帯を切る音)

敦也「お姫様のSOSだ。白馬の王子は急がねば……」

 

○ 放送局・ブース内

天馬「あわただしさに紛れて、季節の変わり目というのはあいまいに
 感じがちです。カレンダーもそんな感じで、気がついたら新しい月に
 なっていて、あわててめくったりしますよね。私もよくやってしまいます」

 

○ アパート・作業部屋

壬久「あ、珍しく天馬さんがトークやってる。そろそろレギュラー持ちに
 なるのかな」

敦也「そうかも。ここ最近チョコチョコ聞くし」

壬久「あ、あっちゃん。ごめんね」

敦也「いやいや、かわいい神久保の頼みだ。大急ぎでかけつけたぞ」

壬久「その図体(ずうたい)で?」

敦也「……かーみーくーぼー!」

壬久「ゴメンゴメン。予想より遥かに早かったよ。ありがとう」

敦也「まったくもー。で、どこからやればいいのかな」

壬久「こっち、枠線とベタ」

敦也「はいはい」

 

○ 放送局・ブース内

天馬「それでは調布にお住いの小金持ちC様のリクエストにお答えして
 あやめさくらの「Jump!」をおかけしたいと思います」

 

○ アパート・作業部屋

敦也「そう言えばこの前のボーイズラブ図書館はどうだった?」

壬久「読むって言うより埋もれてた」

敦也「そんなにあるの!?」

壬久「だからあの日、帰り遅くなったじゃん。ホントは泊まってこうかと
 思ったくらいだけど」

敦也「泊まっても良かったんじゃあ……俺は淋しいけどさ」

壬久「でも、ネタが浮かんだから」

敦也「あー、神久保は家じゃないと落ちついてネーム出来ないしな」

壬久「そういうこと。……あっちゃんの顔見たかったし」

敦也「え!?」

壬久「あ……いや、あの。先生と生徒のアレだから」(慌てて)

敦也「なんだ、そういうことか……って、そう言う内容なの?」

壬久「うん。でも未成年の話じゃなくて、卒業してから再会して、って話」

敦也「……どっかで聞いたような」

壬久「ありがち?」

敦也「いや、そういうことじゃなくてさ」

壬久「ああ、まあそりゃ……実体験がモトネタだもん」

敦也「やっぱそういうことか」

壬久「でも、先生はカッコイイキャラにする」

敦也「まあそりゃそうだよなあ」

壬久「読者に現実見せるのは気がひけるしね」

敦也「どう言う意味だよ」

 

○ 放送局・ブース内

天馬「お送りしましたのはあやめさくらさんの「Jump!」でした。
 近々ミニアルバムが発売されますが、今回のチャートはどこまで上がる
 んでしょうか。非常に楽しみです。では、そろそろお時間となりました。
 またお会い出来る日まで、Good Luck! お相手は、橘天馬でした」

 

○ アパート・作業部屋

壬久「一応ネームは一回で通ったけど、ちょっと変更箇所が出るかもなあ」

敦也「珍しいな。迷ってるのか?」

壬久「ちょっとね」

敦也「終わり?」

壬久「いや、途中。えっちをどこまでやるべきかなと」

敦也「そりゃ最後まであったほうがいいんじゃないか?」

壬久「いや、あるにはあるのよ。コマを削るか増やすか……」

敦也「全部見せるか見せないかってこと?」

壬久「読み手の想像力まで奪いたくない」

敦也「あー。なるほどな」

駒子「……お茶いれようか?」

敦也「うをう! びっくりした」

壬久「あれ? 駒ちゃん寝てたんじゃ……」

駒子「天馬のラジオで起きた」

壬久「ああ」

駒子「あいつマジで頭角あらわしつつあるわ。私そろそろお役ゴメン?」

敦也「そう言うことを言わない。駒ちゃんはパーソナリティが天職なんだろ?」

壬久「……あっちゃん」

駒子「ゴメン。……それからありがと」

敦也「礼を言われる筋合いはない。その代わりお茶入れて」

駒子「あはは、うん。じゃあいれてくる」

 駒子、台所へ。

壬久「……駒ちゃん、疲れてくるとマイナス思考になるからなあ」

敦也「そうだな。タマに鈴だな」

壬久「ちりんちりん、って違うし」

敦也「タマに、傷だ。……アイタタ」

壬久「そのタマと違うし」

敦也「いや、ちょっと古傷が」

壬久「あ! 腕?」

敦也「……うん。季節の変わり目だからかな」

壬久「……あれはもう、何年前だったっけ」

敦也「俺がここに来て、一年ぐらいだったかな。始まりは弾けたファンレター
 だったな」

壬久「そうだね。手紙だけですんでれば、ちょっと行き過ぎた人で片付いたん
 だけどね」

敦也「まあ、行動力はすごかったよな。そのエネルギーを他に向けろよって
 思ったもんだ」

壬久「最初で最後の対面の時、恐かった。尋常じゃなかったもん」

敦也「ただ顔が見たかったって言ってたけど、それでなんで刃物なんか持っ
 てくるんだよって感じだよな」

壬久「何針縫ったんだっけ、あっちゃん」

敦也「……腕は15針。腹部は6針」

壬久「うわ……」

敦也「神久保覚えてないだろ。血は弱くないって言ってたお前が失神した
 もんな」

壬久「うん」

敦也「入院してるとき、お前のお母さんが来たなあ。平身低頭で頭を下げ
 るから冗談で言ったんだ。娘さんを俺にくださいって」

壬久「……マジ?」

敦也「すぐ冗談だって言ったさ。でも、お母さんこう言ったぞ。真剣な顔して
 『娘をよろしくお願いします』ってさ」

壬久「それでか」

敦也「ん?」

壬久「上京してからずっと言われてた『早く結婚しろ』って言葉、あの一件
 以来言われなくなったのは」

敦也「お母さん本気にしたか。まあ俺は本気だけどさ」

壬久「……あっちゃんはね」

敦也「何?」

壬久「一番近い異性だと思ってるよ」

敦也「まあ、それだけでいいか。今は」

壬久「私が彼氏作らないのも恋愛しないのも、別に男嫌いとかじゃなくて。
 一番近くに安心できる人がいるからだよ」

敦也「うん」

壬久「……傷、痛みが続くようだったら鎮痛剤持って来るから」

敦也「いや、大丈夫。それより仕事早く終わらせよう」

壬久「そうだね」

 

○ アパート・キッチン

駒子「あ、もしもし。天馬?」

天馬『あ、駒さん。お疲れ様です』

駒子「さっき放送聞いたよー。上手くなったよね」

天馬『有難うございます! 駒さんにそう言ってもらえると嬉しいです』

駒子「電話したのはさあ、暇出来たらまたちょっと手伝ってくれないかな
 と思って」

天馬『また修羅場ですか?』

駒子「壬久が仕事いれちゃってさ、大変そうだから」

天馬『明日遅くで良ければ行けますよ』

駒子「ごめんね。その代わり、いろいろ考えてるから」

天馬『気を使わないで下さい。俺も楽しんでますから』

駒子「うん……あ、お湯がわいた」

天馬『ははは。じゃあ、切りますね』

駒子「うん、じゃあ明日ね」

 携帯を切る駒子

駒子「しんどいときはどうもあのツラを見たくなるのよね」

 

○  放送局

天馬「お疲れ様でした。お先に失礼します」

江田「あ、橘くんじゃないか」

天馬「あ! 江田さん」

江田「もう、今日は上がりか?」

天馬「はい。明日も早いので……江田さんは今日は?」

江田「ちょっと所用でね。そういえば神久保君が今日はいないようだな」

天馬「今日はオフみたいです。家にいるとかで」

江田「そうか、ちょっと残念だな。会ったらヨロシクと伝えてくれないか。
 君は仲がいいようだし」

天馬「ああ、はい。伝えます。でも江田さんは駒さんの携帯知らないん
 でしたっけ?」

江田「デジタル系はどうも苦手でな。携帯自体持ってないんだ」

天馬「あはは、そういう人いますよね。わからないでもないですけど……
 あ、そういえば江田さんは駒さんと共演したことがありましたよね」

江田「洋画の吹き替えとかアニメで何度かね。彼女の母親を知ってるから
 いつも不思議な気分だったよ」

天馬「え? 駒さんのお母さんを!?」

江田「ああ……このことは業界人なら知ってる奴も多いから、てっきり君も
 承知かと思ったんだが。ここで立ち話するのもあれだな。少しだけなら
 付き合えるか?」

天馬「あ、お酒ですか? そうですね……午前様にならない程度なら」

江田「じゃあちょっと付き合ってくれ」

天馬「はい」

 

○ アパート・作業部屋

壬久「今回さあ、急遽入れちゃった仕事だからアシさんに迷惑かけたくない
 わけよ」

敦也「でも、彼女らはそれが仕事なんだし」

壬久「イベントの準備あるとか、この前言ってた」

敦也「そうか……まあ、片付けられない量じゃないからいいか」

駒子「そうそう。猫の手の天馬も明日来るって言うし」

壬久「天馬さん来るの?」

駒子「来てくれるって。だからあっちゃんはトーン処理に集中出来るよ」

敦也「おー、助かる」

駒子「私も今のうちに手伝えることはやるし」

壬久「天馬さん、もうすっかり修羅場の常連だよね」

敦也「あはは」

駒子「そうね、気がついたらいつもいるしね」

壬久「うん。でも、気がつかないフリしちゃダメだよ。大事なものなくしちゃうよ」

駒子「壬久?」

敦也「神久保?」

壬久「タイミング見極めないと……壬子(じんこ)さんみたいに失っちゃうよ」

駒子「ああ、お母さんのことか……びっくりした」

壬久「……それだけじゃないけどね」

 

○ ワインバー

江田「神久保君のお母さんは、女優だったんだ」

天馬「あ、そうか……江田さんは声優専業になる前俳優してましたね」

江田「20年ほど前、事故で左腕が不自由になってしまってね。それからだよ」

天馬「あ……」

江田「入院中、1度だけ壬子さんが神久保君を連れて見舞いに来てくれたな。
 その時、あの子はまだ小学校に上がったばかりで……大好きなアニメの
 話を一生懸命してくれたよ。それで僕は、何度か経験もあったし声優を
 やろうかと思ったんだ」

天馬「そうだったんですか」

天馬M「なんだか、そういうめぐり合わせの連鎖ってあるんだな」

江田「壬子さんが、27年前未婚のまま子供を産んだという知らせを聞いた時は
 驚いたものだけど……実は彼女、所属事務所の社長と不倫をしていてね。
 僕は良くその相談に乗っていた」

天馬「あ、そういえば父親の話って聞いたことありませんでした」

江田「そりゃそうだろう。壬子さんは死ぬまで二人の子供の父親の名前を
 言わなかったんだから」

天馬「二人の子!?」

江田「年子(としご)で二人生んでる。神久保君……駒子くん以外の
 弟妹(きょうだい)はどうなったのか知らないが」

天馬「……駒さんに、弟妹」

江田「僕はね、はずかしながらその子たちの父親になりたかった。壬子さんに
 惚れていたんでね。それに、一度は人の親になれるかもしれなかったんだが
 それが叶わなかったんだ。だからこそ……」

天馬「江田さん……」

江田「駒子くんと親しい君だから言うが、僕は壬子さんと何度かそういう
 間柄になったこともある。ただ、その時壬子さんはとうに妊娠している
 かもしれないと言ってた。付き合っていた相手と別れたいとずっと思っ
 てたようだが」

天馬「じゃあその相手って、今でもまだ生きて……?」

江田「いや、五年前に亡くなってる」

天馬「そうですか……」

江田「駒子くんは、たぶん何も知らないと思う。本当なら遺産相続の権利も
 あったかもしれない」

天馬「でも、駒さんなら多分要らないっていったでしょうね」

江田「まあ、そういう感じの子だからな。……こういうことを君に話したのは
 いろんなことを知った上で彼女を支えて欲しいと思ってるからだ」

天馬「はい」

江田「君たちの経緯(いきさつ)を知ってるが、橘君は駒子君にただ憧れてる
 訳じゃないだろう?」

天馬「えっ?」

江田「もっぱらの噂だけど、でも僕はただの噂じゃないと思うな。君は
 駒子君を好きなんじゃないのか?」

天馬「……」

江田「はたから見ているとね、当人同士じゃ分からないことって見えてくる
 もんなんだよ」

天馬「俺は……」

江田「今分からないなら、認めなくてもいい。でも」

天馬「江田さん……」

江田「駒子君も多分、君と同じだろうね」

 

○ アパート・作業部屋

駒子「いくっしゅっ」

壬久「大丈夫? 駒ちゃん」

駒子「うー」

壬久「はい、ティッシュ」

駒子「原稿にハナミズ散らさなくて良かった」

壬久「あんまり無理しなくていいよ。早めに寝たら?」

駒子「せめてあっちゃんの夕飯食べてから寝る」

壬久「あ、そうだね。で、薬飲んで」

駒子「うん」

壬久「それがいいよ」

駒子「そういえばさ」

壬久「ん?」

駒子「さっきの意味、どういうこと?」

壬久「ア……いや、自分に言い聞かせるのもあってさ」

駒子「まあ気付かないフリしてることなんていくらでもあるけど」

壬久「だよね……」

 

壬久M「大切なことに、気がつくタイミングをなくしちゃいけない。それはずっと
 感じてたことだけど。ここ最近富みにそう思う。でも、気がついちゃうことで
 何かが変わっちゃうのも恐い気がする。駒ちゃんも、きっとそうなんだろうな」

 

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